Down’s Innovations Vol.34 親なきあと・シリーズ第6弾「小児科医、きょうだいの視点から」

4月3日(日)【Down’s Innovations Vol.34 小児科医、きょうだいの視点から】をオンラインにて開催しました

アクセプションズ岡崎です。

 

4/3(日)にDown’s Innovation Vol.34「小児科医、きょうだいの視点から」を開催しました。

自ら『きょうだい』であり、医学部在学中から障がい児に関わる医療を学び、医学部卒業後は障がい児医療の専門家として医療に従事されてこられた湯浅正太先生にお話を伺いました。

 

湯浅先生は医師というだけではなく、一般社団法人Yukuri-te(ゆくりて)代表理事として、また絵本「みんなとおなじくできないよ」を出版された作家という一面も持っていらっしゃいます。

今回はプレゼンテーションではなく、フリートークに近い形で湯浅先生からお話を伺いながら、随時参加者からの質問を取り上げるというスタイルのセッションでした。

 

簡単に話の流れと、私にとって印象深かったポイントを中心にレポートします。

 

家族に障害のある子どもがいる場合、その子を同胞、その兄弟姉妹をひらがなできょうだいと示します。湯浅先生は3人兄弟の長男で、一番下の弟さんが同胞という立場にあたります。その弟を見守る自分の様々な複雑な気持ちから、社会不信に陥ったという過去があったそうです。

 

その後中学に進学され、弟さんと離れたこと、また新たな社会の理不尽を感じたことなどが、今の思考をかたち作られているようです。

 

印象的だったのは「きょうだい」という立場の方が「同胞(障がいのある当人)」がいることで、間違えると自分の心が疲弊してしまったりするリスクがあるということ。これまで「きょうだい」は家族に障がいのある方がいる場合、ダイバーシティ&インクルージョンの観点では良い側面が多いという、ある意味メリットばかりに私は目が向いていた気がしました。

 

しかしリスクがあることについては深く考えていなかったため、自分の子どもたちにもそのような配慮や、声かけをしてあげた方が良いのかと考えました。

 

その配慮のアプローチの一つとして、湯浅先生がおっしゃっていたのは「ラベリング」を外すということ。

 

ラベリングは旗のようなもので、社会からみて分かりやすいカテゴライズされた言葉での「旗」がその人を覆っていることが多いということ。例えば「ダウン症候群」「きょうだい」「親」「小児科医」「絵本作家」「会社員」「父親」などの旗があるのかなと。

 

その旗を外すことで、本当の自分自身を認識することが出来るということです。自分は「きょうだい」という旗に囲まれている存在ではあるが、それはただの旗/ラベルであるということ。その旗/ラベルから自分を切り離して考えるということが大切だと感じました。

 

また、人と人がしっかり繋がっている社会であれば、ラベリングなど不要になると思うが、このコロナ禍で本当の意味で人と繋がることも中々難しくなっているということも述べられておりました。これは「きょうだい」に限らず、2020年以降、世界中が直面している課題なのかもしれません。

 

今回は最後のQ&Aのパートまで、最初から一人も途中退室のない、濃厚な2時間でした。

 

私には3人の子どもがおり、小6の娘にダウン症があります。

 

その上に高1の兄、小2の弟と、二人の「きょうだい」がいる家庭なのですが、彼らは娘とは同じコミュニティには所属してない(学校も別)なので、湯浅先生とはちがう捉え方をしていると思います。

 

しかし息子たちがどのように感じるのか、感じる可能性があるのか、などを自分の家庭でも妻と話し合い、考えていく必要があると認識しました。

 

この話を踏まえて、Voicyという声のブログサービスで、社会に向けたラベリングについてのお話も公開されているので、興味のある方は是非聴いてみてください。

アーカイブ動画